雪舟

◆ 日本水墨画の確立  
文明元年(1469)帰国後、大分で天開図画楼(てんかいとがろう)を開き、同10年には益田を訪問し、「益田兼堯像」(ますだかねたかぞう)、「山寺図」、「花鳥図屏風」を描き、萬福寺、崇観寺(すうかんじ)の両寺に山水庭を築いた。
同18年、名作「山水長巻」を制作し、明応4年(1495)には「破墨山水図」、翌年は、「恵可断臂図」(えかだんぴず)を描いた。
雪舟が「山水長巻」を描いた 山口の雲谷庵
◆ 終 焉
 晩年、益田を再訪し、山寺東光寺に入山し、本尊観世音菩薩の下で禅の修業を兼ねて画の制作に励んでいたが、ついに、この地で永正3年(1506)87歳で、あるいは文亀2年(1502)83歳で生涯を終えた。
東光寺で亡くなった雪舟の遺骸は崇観寺(医光寺)に運ばれ、そこで火葬にふされ雪舟灰塚を建てたと伝えられる。*益田市立雪舟の郷記念館ホームページはこちらです。

医光寺


医光寺は臨済宗東福寺派のお寺ですが、もとは天台宗崇観寺の塔頭でした。崇観寺は1363年に創建され、足利将軍の台翰(だいかん・手紙)をもって住職を 任命したほどの格式のある大伽藍でした。
文明年間(1469〜1486)第七代住職雪舟はこの崇観寺の塔頭のひとつに庭園を残しました。その後、崇観寺は 衰退していったのですが、17代益田宗兼によって医光寺が開基しました。
医光寺の雪舟庭園は国史蹟および名勝に指定されており、 池泉鑑賞半回遊式の庭園で、鶴池に亀島を配置した吉祥の庭となっています。 毎年3月半ばには枝垂れ桜が華やぎを添え、5月には一面のツツジ、夏は緑が涼しく、秋には大きな楓が赤く染まっています。医光寺雪舟庭園
そして冬に雪が降ると、水墨画の世界が広がります。開山堂の十六羅漢像は17世南嶺和尚による赤松の一本彫りで、それぞれの羅漢の生き生きとした表情は素 晴らしい出来ばえです。
本尊の薬師如来像は、鎌倉期の「安阿弥」作と伝えられ、 脇侍の日光、月光菩薩もよく均整がとれ、金箔の上に繊細な色彩がつけられています。
また、入り口には、県指定文化財である益田七尾城の大手門が、関ヶ原の 合戦後に移築されています。

応安7年(1374年)益田七尾城11代城主益田越中守兼見(ますだえっちゅうのかみかねはる)公は、時の住職師阿月心(しあげっしん)を助けて、寺塔を現在の地に移転改築して萬福寺と改称した。
 寺領31石を与えて益田家の香華院(こうげいん)(菩提寺)と定められた。
文明10年(1478年)、益田城主15代益田兼尭公の招きにより、画聖雪舟等揚禅師が来訪され、 翌年、堂後に石庭を造築された。万福寺雪舟庭園 万福寺

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