≪医光寺≫
万福寺の約500mほど東、国道一九一号線に面して建っている。南北朝期の貞治2年(正平18・1363)に創建、崇観寺と称したのが起こり。医光寺は室町時代、益田宗兼が建立した境内塔頭であったが、本寺の崇観寺は衰廃し、医光寺だけが残った。本堂・開山堂・総門・中門などを備え、小規模ながら寺容は整っている。現在の諸堂宇は、享保14年(1729)の大火後創建されたもの。竜宮造といわれる総門は、もと益田城の大手門を、関ケ原の戦い後ここに移し、承応年間(1652〜55)黄檗宗寺院特有の竜宮造に改築したという。県の文化財に指定されている。
境内庭園は、万福寺と同じ雪舟の築庭で、国の史跡・名勝に指定されている。文明11年(1479)前後、周防(山口県)の雲谷庵を出た雪舟は、益田城主益田兼堯の知遇を得て、崇観寺にとどまり、後第5世住職となっている。境内に雪舟を火葬にしたという灰塚がある。
雪舟が石見にとどまったのは、数年の短い期間であったが、万福寺・医光寺の他、柿木村の昌谷寺、益田市の聖清寺、浜田市の玉林寺などが、雪舟ゆかりの地といわれている。
※参考資料・・・ますだの散歩道
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