益田市とは

水や豊かな自然に囲まれ、その恵みを大切に育んできた

益田市は島根県西端に位置し、北は日本海、南は1,000mを超える雄大な山々を有する中国山地があり、そこに源を発する「高津川」・「匹見川」が流れ、雄大な自然に囲まれています。
四季折々に表情を変える中国山地の山、日本海に沈む美しい夕日、そして夜空を見上げると今にも降ってきそうな満天の星空を見ることができます。そんな神秘的でロマンティックな光景に出会えるのが益田市なのです。

清流日本一といわれる「高津川」は、一級河川の中でも珍しくダムがないため、つねに新鮮で豊かな水量を湛え、たびたび増水することで川底を一掃し、清流が保たれています。そのため屈指の水質を誇る清流が保たれていることで、良質のコケが発生し、薫り高い鮎が生まれます。この天然の鮎は人気が高く、益田市の名産品の一つです。また奥深い山中の最上流域は「ワサビ」の産地として有名です。これら沢山の恵みをもたらす高津川はまさに食の宝庫なのです。
このように益田市には水や緑の豊かな自然と、その恵みを大切に守りながら暮らす人々が織りなす、素晴らしい環境が残っているのです。

わさび

高津川金地

豊かな自然が人々の暮らし、ドラマを生み出してきた

益田市は山陰と山陽を結ぶ交通の要衝地です。海、川、山、平野といった地形的な優位性が大自然の恵みと、「海・川・山の道」を介した交易活動を盛んにしました。そしてこの地に人々が暮らし、行き交うことで様々なドラマを生み出してきたのです。

益田市内の海岸周辺から中山間地に至るほぼ全域で古墳が確認されています。石見地方最大の前方後円墳(大元古墳・遠田町)をはじめ、多くの古墳が残されていることから、大和政権における西の拠点として重要な地域であったことを物語っています。高台に築かれた大型古墳から日本海を眺め、悠久の時に思いを馳せてみるのもいいでしょう。

三里ヶ浜高島夕日

小丸山古墳

人の交わりから生まれた豊かな文化と残る風景

人麿・雪舟

益田市は歌の聖・柿本人麿と画の聖・雪舟、日本を代表する二人の文化人との関りが深く、関連する文化遺産が多く残る情緒あふれる町です。

万葉の歌聖・柿本人麿の生誕の地とされる「戸田柿本神社」、そして「高津柿本神社」は全国に395社ある柿本神社の総社と言われています。人麿が詠んだ歌の情景を彷彿とさせる、日本の原風景が多く残るのも見どころの一つです。市内には人麿に関する伝承が多く点在するので、その風景を眺め、人麿が歌に込めた思いを想像し、そこから見える風景をじっくりと味わってみてはいかがでしょうか。

また現在の益田市の成り立ちの基礎は、益田氏治政下の約400年の間に、城下町として築かれたことに始まっています。益田氏は鎌倉から室町時代の領主。鎌倉時代初期には石見の約3分の1を治めるようになり、室町から安土桃山時代において、周辺の大勢力と巧みに結び、石見での地盤を強固なものにしていきました。益田氏は文化への造詣が深く、室町時代、15代兼堯は画僧・雪舟を益田に招き、「医光寺庭園」と「萬福寺庭園」を作庭させました。この2つの庭園は、全国に200カ所あるといわれる雪舟庭園の中でも、とくに優れた「雪舟四大庭園」に含まれます。四季折々の表情を変え、訪れる人を今も魅了し続けています。
その他、柿本人麿や雪舟にゆかりの深い「万葉公園」などもあるので、二人の事跡を訪ねて益田市の自然美に触れてみませんか。

医光寺春

萬福寺雪舟庭園

日本の文化・伝統を語る「日本遺産」に認定
令和2年度に中世の益田にまつわるストーリー「中世日本の傑作 益田を味わう -地方の時代に輝き再び-」が日本遺産に認定されました。 海に国境のない時代―中世と呼ばれる室町時代から安土桃山時代の頃、益田市は中国や朝鮮半島に近い地勢と中国山地がもたらす材木や鉱物などの地域資源を活かして、日本海交易を進めていました。当時の領主・益田氏は、自らも交易に積極的に関与し、優れた政治手腕を発揮して平和を実現しました。経済的繁栄と政治的安定のもと、東アジアの影響も受け、現在の益田にはその歴史を物語る、湊、城、館の遺跡と景観、寺院や神社、町並み、庭園、絵画、仏像などの一級品がまとまって残っています。
このように、時代と地域の特性を活かして輝いた益田は、中世日本の傑作と言え、全国でも希有な中世日本を味わうことのできるまちです。

益田市日本遺産特設ページ