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益田氏(中世-近世)

益田氏

平安後期11世紀頃に藤原国兼が石見国司として現在の浜田市に赴任したことに始まります。四代兼高が益田に本拠を移し、益田氏に改名したと伝わります。以後、300年以上にわたって、現在の益田市域を中心に大きな勢力を誇りました。
南北朝時代の11代益田兼見は内乱を生き抜き、益田平野の支配権を確立し、さらには益田家の家訓(置文)を定め、萬福寺を創建するなど、中世の益田と益田氏の基礎を築きました。室町時代の15代益田兼堯は、政治・軍事に優れた手腕を発揮するだけではなく、画聖・雪舟を招き、「益田兼堯像」を描かせ、萬福寺と医光寺に庭園を築かせるなど、益田に室町文化を花開かせました。戦国時代の19代益田藤兼は、陶晴賢の下剋上に協力し、勢力を拡大しましたが、戦国大名となった毛利氏と緊張関係に陥りました。最終的には和睦することになりましたが、その際には莫大な贈り物と豪華な料理によってその経済力と舶来品を入手できることを印象づけました。安土桃山時代の20代益田元祥は、時代の変革期にうまく対応し、関ヶ原合戦後に残念ながら益田を去り、長門国須佐に移りましたが、その活躍により益田氏は代々長州藩の家老を務めることになりました。
 益田氏は時代ごとに優れた当主を輩出し、滅亡することなく、現在まで続いています。